私がこの業界に足を踏み入れたのは、かれこれ25年程前のことです。
デザイナーという職種に憧れて
若い頃の私は、漠然とデザインの仕事がしたくて、そのような職種を探していました。
すると求人の業務内容に「デザイン」の文字を見つけました。
仙台市内にある「A社」でした。
看板の「か」の字もわからなかったのですが、この「デザイン」という言葉のみを頼りにA社の面接を受けました。訪ねたA社の事務所はデスクが4つあり、四人掛けの応接テーブルが1つありました。決して大きな会社とは言えない事務所でしたが、小綺麗で清潔感がありました。その応接テーブルにつき、常務と部長の面接を受けました。
緊張していて、何を聞かれたかは全然覚えていません(まだ初々しかったなぁ。今ではすっかり図太くなってしまいました)。手応えはほとんど無かったのですが、数日後、自宅に採用の連絡がきました。喜びというよりは入社が決まってホッとしたといった感じでした。
A社は工場と営業に分かれており、仙台市内では中堅どころの看板屋でした。
現在は家庭用プリンタと仕組みは同じ、高機能版の「インクジェット出力」や「アルミ複合板」というような看板が全盛ですが、「書き文字」の看板があったり、板面が「トタン」で出来ている看板が多くありました。
胸弾ませて会社に入りましたが、待っていたのは営業と現場管理(ほぼ作業員のような)の仕事でした。そしてその業務が始まると「デザイン」はどこかへ吹っ飛び、訳も分からずに与えられたことをただ必死にやっていました。
代理店と打ち合わせをして、週末に開催されるイベント用の看板、会場までの誘導看板の設置。時にはイベントの手伝いをしていました。(余談ではありますが、その頃はサラリーマン体質で土日の仕事が嫌でしたねぇ)
現場へ行き来して、打ち合わせ、現場調査、看板図面作成、発注、施工。この期間は毎日深夜まで仕事をしていました。(これまた経験、知識がないものですから、仕事が遅くて、、、)今でも当時のことを振り返ると胸が苦しくなります。(このころの話はいずれブログに書きたいと思います)
と思うようになってきました。
頼みたくても全て先輩、上司になるため、若かった私にはうまく立ち回ることが出来ませんでした。
社長、上司、ともに止めていただきましたが、私の私意志は変わりませんでした。只々、自分の技量不足でしかなかったと今更ながら反省しています。
とても感謝しています。
その電話が次に働くことになったB社へつながることになります。